Archive for the ‘ビル’ Category

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なでなで

11月 30, 2009

最近、息子は友人関係に悩んでいるらしい。
んー、別に意地悪されているわけじゃなくて、大好きなあの子は別の子と仲良しだから、たまに仲間に入れてもらえない。と。
でキッツいこと言われちゃったりもする。と。

ビルの谷間。 人生も谷あり谷あり。

大人から見れば、立ち回りがヘタなことこの上ない。
小さなことで凹みすぎ。
気に入らないならそんなヤツと遊ばなけりゃいいじゃない。

そう言ってやりたいのは山々だし、実際ちょっと口にしてしまったのだけど。
「お母さんと僕は違うんだから」と言われてしまえばそれまでよ。
「お母さんに僕の気持ちはわからないよ」その通り。
つーか、そのセリフ元はと言えば「最終的には自分で何とかしろ」と言いたくて私が吹き込んだのに。
見るに見かねて口を出したらオウム返ししてきやがった。

私は、仲間はずれにされても「なんて程度の低い子達なの?こっちから願い下げよ!」というタイプだったのだが、息子は私より可愛げがあるので何とか仲良くしたいらしい。
なのにやっぱりスネたりキレたりしちゃって、「違う違う!」って言いたくもなりますよ。

だけどやっぱり、口出しはホドホドが良いよね。
男の子なんだし。

だから口は出さずに手を出すことにした。
赤ちゃんの頃にやっていたベビーマッサージ。

マッサージオイルを使って、背中やお腹をゆっくりなでてあげる。
今はヴェレダのカレンドラ ベビーオイルを使っているのだが、この匂いはお日様系で気持ちが和む。

最初はくすぐったかっていたのが、いつの間にか眠ってしまった息子。
少しはリラックスできただろうか。

ベビーマッサージとは言うけれど、実はこれは親のためのマッサージだと思っている。
育児でささくれた心も、赤ちゃんの肌に触れているうちに柔らかくなっていく。
さっきまで悪魔の子に見えていたのが、愛しい我が子に戻っていく。
そうやって随分と助けられた。

今もまた、私の中の口出し婆ぁが諌められていく。
この子はきっと大丈夫と、見守る余裕が生まれてくる。

それにしても、大きくなるって楽しいことばかりじゃないね。
これからもっと悩み事は増えていくだろうけど、ガッカリせずに楽しんでいけるかどうかが人生の勝ち負けなんじゃないかな、結局。

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至福

10月 29, 2009

スネ夫の顔が重なってるように見えるんだよね。
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ふと気づいたのだけど、今って私の人生の中でも一番幸せな時期なのではないのだろうか。
「一番」と言い切るには早いかもしれないが、年を取ってから懐かしく思い出し、「あの頃に戻りたい」と思うならば、その「あの頃」はまさに今なのではないかと思う。

息子は手がかからなくなった。
自分のことはたいてい自分でできる。
だけどまだままだ甘えん坊で、仕草も可愛い。
こどもらしい素直さを残しつつ、少しずつ自分の頭で考えようとしている。

ちょっと前まではどこへ行くにものも付いていてやらなくてはならなくて、
私の行動はひどく制限されていた。
でも今は、一緒に過ごす時間は一日のうちほんのわずか。
自分のために使える時間も増えた。
かといって離れてしまったわけではなく、夕方になれば「ただいま」と帰ってくる。
母はまだ不動の地位を保っている。

なんて素晴らしいのだろう。

そしてなんて哀しいことだろう。
いつかはこの時間が終ってしまうなんて。

せっかく気づいたのだから、この貴重な時間をしっかり味わいたい。
老後のために懐古メモリをせっせと蓄えねば。

今夜も息子の寝顔は極上だ。

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かくかくしかじか

10月 17, 2009

このビルの、この角度が好き。
角ばり具合がとてもよい。
それと、窓の凹みの影がよい。

論理的な人間ではないので、普段は「なんとなく」とか「テキトー」で生きている。
ちょっとしたズレは、「まいっか」で済ませる。
10回に1回くらい、「まいっか」は「ぜんっぜん良くない」に育って帰ってくる。
その時はモチロン焦るけれども、10回に1回の不始末に全力で立ち向かえば、残りの9回は「まいっか」で済むというわけで・・・この生き方がやめられない。

小さなプラスがたくさん。大きいマイナスが少し。
どうせ最終的にプラマイがゼロならば、中くらいのプラスとマイナスを同数にしとけよとも思うが、つい目先の小さいプラスに騙される。

で、こんな非論理的な自分だけれども、凹んでしまったときには逆にその理由を突き詰めないと立ち直りのキッカケがつかめなかったりする。
「かくかくしかじか」と自分自身を説得しないと、どうしても「まいっか」で済ませようとしてしまうからだと思う。

以下、かくかくしかじか
・凹むのは、自分が自分と向き合えていないことを自覚しているから。
・自分と向き合えないのは、あちこちで生じているズレが飽和に近づいていることから目を逸らしたいから。
・目を逸らしたいのは、ちょっとやそっとじゃズレを修正できないことが分かっているから。
・ズレが修正できないのは、自分の力だけじゃいかんともしがたい問題が混ざっているから。

さて、ここで問題。
①自分の力だけじゃ解決できないと分かっていて、でもできる限りあがいてみる → やっぱりどうにもならないと再起不能
②自分の力だけじゃ解決できないと分かっているから、無駄なあがきはしない → 大きなダメージは当面うけないが、問題は解決しない

若い頃は①が多かった。
若さがあれば、意外と再起できるもんだ。
だけどもうそんなにタフじゃない。
それに、自分ひとりの生活じゃないからリスクは冒せない。
でも、②でどこまで行けるんだろう。「当面」はいつまでもつんだろう。
「当面」の後に、カンペキに育ちきった「ぜんっぜん良くない」が帰ってきたら、それこそゲームオーバーなんじゃないか。

結局ここをグルグルしてる。
でもまぁ、かくかくしかじか、多少気分は良くなった。

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ケロリン

7月 21, 2009

やっぱり壊されちゃった。
ビルの骸骨は不思議な感じがする。

中に詰まっていた時間がこぼれ出す。

先日、朝起きたら熱が37.4℃あった息子。
平熱が35℃台だからやけに熱く感じる。

「学校やすむ?」
と聞くと
「やだ。絶対行く」
と半泣きでいうので
「そんなに学校好きだったっけ?」
と思ったら
「給食の完食記録がきれちゃう!」
だって。

なんだそれ。
皆勤賞がなくなる!とかならまだ分かるけど。

おバカだな。可愛いな。まぁそれじゃ行ってみれば?
具合悪くなったら電話しなよ。

結局学校から電話はなく、学童に連絡して熱を測ってもらったら38℃超え。
「でも元気ですよー。アイスおかわりしました。」

その日は早退して早めに寝かしたら、次の日はケロっとして
「今日はプールだ!!」
健康って素敵。

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心残り

5月 16, 2009

今にも崩れそうだなぁ。大丈夫かなぁ。
と思っていたこのビル。
ある日通りかかったら、1階に入っていた飲食店に「移転しました」の張り紙が。
取り壊しフラグ?

人生の成功とは、
自分の命が終わるその瞬間に「生まれてきて、良かったな」と思えること
だと思っている。

そのために必要なのは何だ?達成感?満足感?
よくわからないけど、何かをやり残して死んでしまっては「ダメ」なんだろうと、漠然と考えていた。

30歳を過ぎてなお、自分のやりたいことに手もつけられていない。
息子もまだ小さい。せめてこの子が成人してからでないと、死んでも死に切れない。
親も、娘が先立てば悲しむだろう。
だから、今死ぬのはイヤだ。と思っていた。

だけど、毎日誰かがどこかで突然の死を迎えている。

事故で。
事件で。
病気で。
天災で。
戦災で。
みんな、もっと生きたかっただろうに。

では寿命で儚くなれば、心残りはないのか。そうでもない。
不慮の死に比べれば、大分心構えも備えもできているだろうけど。
もう十分だよ、と思いつつ、庭に咲いたばかりの花の水遣りだとか、孫の結婚式だとか、遺していく老いたパートナーのことだとか、心配事は尽きないだろう。

世の中で、生と死だけが万人に平等に訪れる。(訪れ方は不平等だが。)
日々の生活は連続体だから、全てやり遂げて死ぬなどありえない。
まぁどちらにしろ、死に方は選べないのだな、と妙に納得。
選べるのは生き方だけ。

失敗したこと、封印してしまいたいほど恥ずかしい過去の自分、思い出しただけで息切れするハードな日々・・・すべてくるんで、今の自分が好きだ。
そして、息子が私の元に生まれてきてくれた。

心残りは多々あるけれど、今なら「生まれてきて、良かったな」と思いながら逝ける気がする。

そんな毎日を重ねて、まだまだ生きていきたい。
だってやっぱり、泣き虫なあの子を置いては逝けないから。

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悪夢

4月 19, 2009

取り壊しかけ?で放置されたビル?
覆いもぼろぼろになるまで放置って、何があったのか。

暖かくなってくると、冬用の布団が暑くて重くて、うなされることがある。
 
 
 
 
私は怒っていた。同時に嘆いていた。
息子のしたことは、叱らないで済ませられるものではなかった。
小賢しいガキ、要領だけはいい軽薄な学生、強いものに媚び弱いものを虐める卑怯者、日和見のコウモリ・・・そういった類の人間がするようなことだった。

どうしてソレがいけないのか。
なぜ母さんは怒っているのか。
切々と説いても伝わらない。

口では謝りながら、ヘラヘラと笑っている。
それどころか、私を見下したような目で見ている。
そんなことでマジになるなんて、馬鹿じゃね?

どうしてどうしてどうして。
真っ直ぐだと思ってた子が、単純を絵に描いたような子が、なんでこんなになってしまったのだろう。
どこで間違えたのだろう。

憤りは情けなさに変わり、やりどころの無い感情に締め付けられ、私は息子の胸倉を掴んで怒鳴りつけた。
それでもニヤニヤと笑うだけの息子に、キレた。
殴る。何度も。

なぜ?なぜ?殴る手が止まらない。
止めたいのに、止まらない。
だって、止めたってこの子が元に戻るわけじゃない。
でも、このまま殴り続けたら何かが変わるのだろうか。

自分のうなされる声で、ここで目が覚めた。
 
 
 
 
どうして、こんな夢を見るんだろう?
現実の息子は、とても可愛い。
子供らしくて、ヒネた所がない。
夢の中の息子は、本物とは似ても似つかない、憎たらしい顔をしていた。

だが、夢の中の私は、それほど現実離れしているわけではなかった。
息子が1才くらいの頃だったか、育児の閉塞感の中で手を上げたこともあった。
今でも、嘘をつかれたりすると「裏切られた」という気持ちに支配されて、怒鳴り声で説教してしまう。胸倉を掴んだことも、実際にある。

感情的な自分への嫌悪感。
自分のコントロールが効かないところで着々と一人の人間が出来上がっていく恐ろしさ。
まだ見ぬ将来の不安。
それらは、現実に存在する。
 
 
かつて、息子と私は一つだった。私が、息子を、内包していた。
身体が外へ出ても、母が子供を包み込む感覚はそのまま残る。
包み込んでいるのに、その子供は成長につれ自己を発達させ、母親とは別の人格としての行動が増えていく。
それは正常な発達なのだが・・・なぜか喜びとともに不安をもたらす。

私の中に、別の人間がいる。
最初は自分と同一視できるほど一体化した存在だったソレが、
いつしか他人になっていく。
ただの他人ならまだしも、ひとつ間違えばソレは怪物になる。

私は息子を愛しているし、彼の性格は一般的に見ても好ましいものであると思っている。
しかし、「ウチの子に限って」とは思っていない。
ペシミストで性悪説信者なので。

何かのキッカケで、カワイイあの子は悪になるかもしれない。
親として、そのキッカケは阻止することができるだろうか。
否。
どんなに頑張っても、
力の及ばないところで思いがけないことが起こるのは止められない。
また、所詮親もただの人間。間違いもしょっちゅうである。
その中のどれが、子供に決定的な影響を与えるのか、分かるはずもないし、分かったところでどうにかできるものでもない。

不幸な出来事があっても、その後のフォローでリカバリできるだろうか。
それも否。
一度転がりだしたものは、方向を修正することはできても、元に戻すことはできない。

世の中の親たち、誰が好き好んで犯罪者を産み育てるだろう。
それでも、犯罪者は存在する。
有名な犯罪者たちの経歴には、確かに共通して悪親の存在が認められることがあるが、逆に言えば、フツーの親から産まれ、フツーに育てられたのに犯罪者となることも多々ある。

全ては運、めぐり合わせだと思っている。

日々真っ直ぐに考え、不器用でも最善を尽くし、子供を愛し、自分を愛し。
そして良きめぐり合わせを引き寄せる。
親にできることって、こんなに小さなこと。
小さなことを積み重ねて、必死に創り上げて、あとは
壊されないように祈るだけ。

子育ては、それ自体が悪夢でもある。

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健康優良児

3月 27, 2009

こういうエッジのきいたビルは、普通にかっこいい。
横断歩道の真ん中で立ち止まってビルの写真を撮るのは、
思ったよりも恥ずかしかったけど。

通知表を持って帰ってきた。
お勉強はまぁまぁ。というか、小学校時代の成績はあまり当てにならないのは自分でよく分かっているので、ソコソコできているならヨシ。

それより何より、1年間欠席ゼロ。
そして「ペロリ賞」オールコンプらしい。
毎日給食ガッツリ食べました!と。
お腹も健康ってことだ。
ええ子やなー。

身長も伸びた。
足もでかくなった。
プールの級が上がった。
お留守番もできる。
お風呂掃除もトイレ掃除もできる。
歯も抜けた。

そして最近やたらカワイイ。

あぁ。
どんどん大きくなってしまう。