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できレース

10月 2, 2008

正面から見ていたらそうでもなかったのに
角度を変えた途端に凄く良く見えるってことも、ある。

出っ張り一つでこうも印象が違うとは。

学童にお迎えに行ったら、何かしでかしたらしい。
「各ご家庭にお任せしますので、子供さんから直接何があったか聞いてください」
なんて先生が言うから、どんな大変なことをやっちまったんだ?と思ったら。

人形(エルモのぬいぐるみ?)を縛り首にして、その紐を持ってグルグルぶん回してた子がいて、そのグルグル回る紐の上を皆でキャッキャッ跳んで遊んだ、と。

一瞬、なんだそんなことか~。先生ったら大げさだなー。と思った。
でもまぁ、ここは親として何かコメントしくては・・・と考えたら、コレは結構むずかしい。

ぬいぐるみなんだから、縛り首にしたって誰かが怪我をするわけじゃない。実害は、ない。
でも、これは大人としては「やめなさい!」と言うべき場面だってのも、解る。
じゃぁ何故、実害はないと解ってることに対してダメ出しするのか。

子供は本来残酷だ。
さすがに「カエルの肛門にストロー突っ込んで、風船みたいに膨らまして、さいごはパーンと破裂させる」なんてのはイマドキ聞かないけど。ていうか私の子供時代に既に伝説だったけど。
かくいう私も、虫の足を1本ずつ引っこ抜いて、破れたお腹から卵がポロポロ出てきたら「あ、メスだーv」とか。
↑ 今思い出すと酷いな。ごめんなさい。

「大きくなれば解るようになるよー」ってのは嘘だと思う。
ただの人形だとか、虫けらとかに酷いことをしてる時点で誰かが「やめなさい!」って言うから、それが酷いことで、やってはいけないことなんだって学習する。
だから普通は、その残酷さが小動物や人間に向けられることなく大人になる。

でも、そうやって非難されることがなかったら?
学習の機会を与えられなかったら?

子供は残酷だ。
  動物ちっくな残酷さ+子供の浅知恵=時として大人の想像を上回る
大人は、子供の残酷さを無視してはいけない。
人間社会で生きていくためにそれは封印するべきものなのだと、導いてあげなくてはいけない。

たいていの大人は、自分が子供の頃はどれだけ残酷だったかなんて忘れてしまっているし、
時間をかけて矯正されてきた自覚もない。
そうすると「大きくなれば解るようになるよー」となりがち。
違う。解るように仕向けられたんだ。大人たちに。

だから今回のことも、ずっと繰り返されている出来レースの一環なんだ。
そこで、大人にとっては解りきったことなんだけど、さも大発見の一大事みたいに諭してみる。
「お人形に酷いことができる心は、そのうちホンモノの人間にも酷いことができる心になっちゃうよ?」と。

成人した人間としての常識をいったん捨てて、社会の入り口にたったばかりの子供の位置まで戻って考えるのは、新鮮で、難しくて、ちょっと気持ち悪い。
私を育てているとき、母もこんな奇妙な経験をしたのだろうか。

それにしても、こうやって話し合う機会を与えてくれて、学童の先生に感謝。

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