Archive for 2008年8月

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eco 火力発電所

8月 31, 2008

火力発電所の見学会に参加してきました。

結論: 最先端はスッキリサッパリで萌えには欠ける

チリ一つないピカピカの床。

広~い敷地に少ない作業員。深夜の当直はたったの4人!

タービンも普段は蓋されちゃってるから、音しか聞こえない。

定期点検の写真だけが素晴らしいその姿を教えてくれる。

もっと色々近くで見たかったけど、親子企画だから仕方ない。

おじさんの説明は分かりやすくて、へぇ~な話がたくさん聞けました。

突然ですが「eco」ってさ、CO2ばかりが騒がれるけど、視点としては資源の枯渇の方が重要なんじゃないかなぁ。
電気自動車はCO2を出さないかもしれないけど、その電気はどこから来るの?
石油や天然ガスだけじゃなく、ウランだって100年もたないんじゃ、原子力の可否なんて論点がずれてる。
ウランが手に入らなくなったら、放射能の残骸だけが残るんだよね。
だいいち、「資源の枯渇まであと何年」ってのは地球規模での話で、日本に限って言えばとっくに枯渇同然なわけで。

食料自給率の問題と同じ。
輸入に頼りすぎ。

枯渇まであと何年って計算してる時間があったら、少しでも自国でまかなえる新エネルギーを探したほうがいいんじゃないかな。
このままでは、日本は石油産出国に首根っこ掴まれたまま、ビクビクと生きていくしかなくて。きっと最終的には真っ先に見捨てられるわけだ。

北海道で現在も採掘される石炭は、質が悪くて今の火力発電所では使えないって話を聞いたけど、
現在計画中の火力発電所では、質の悪い石炭も使用できる技術を取り入れる予定だって話も聞いた。
そうそう、そうゆうこと。地味だけど。
振動エネルギーなんて、実現すれば東京にはもってこい。

化石燃料は、太古の昔に地球が太陽から受け取り、億単位の年月をかけて蓄積したエネルギーの化石なのだ。
その遺産を人類が瞬く間に消費している。

乱暴な話、人類なんて滅亡した方が地球のためだと思う。
個人的には、エネルギー戦争で死んでしまう末路も仕方ない。
でも母としては、そう割り切ることができない。

息子にだって、幸せになる権利はあるし、その権利を護るのが親の務めだ。

巷にあふれる「eco」には、偽善の響きが混じる。
キャンペーンに踊らされる愚民たちを、誰かが、どこかで、あざ笑ってる気もする。
エアコン設定28℃も、マイ箸も、エコバックも、小さすぎて馬鹿馬鹿しい。

それでもやっぱり、「やらないよりマシ」だ。
だって私は母親だから。

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サバイバー

8月 11, 2008

どこへ通じるドアなんだろう。

コチラから開けても、アチラから開けても、どっちにしろ変なトコロへ出そうだ。

アリスの扉。

子供はアホだなー。と、息子を見てると思う。
危険を予測する力も、回避する力も、未熟すぎる。
そして注意力散漫、猪突猛進。


しかたない。そういう力は経験によって培われるものだから。
そして経験を積んでもなお、特に男の子は、「忘れちゃう生き物」なのだ。


けれど思い起こせば、私だって数々の危険を幸運だけで回避してきたのではないだろうか。


アパートの欄干外にかけられた非常用はしごを伝って3階と1階を行き来したり。
塀を乗り越えて裏のマンションに侵入したり。
駐車場で這い蹲ってBB弾を拾ったり。
壁の上を歩いてどこまで行けるか試したり。
犬に追いかけられて全力逃走したときは、もちろん十字路で一旦停止なんてしなかったはず。
浮き輪なしじゃ泳げないくせに、いっちょまえにブイまで行きたがる。
廃屋探検もどきとか。
・・・


学生のころだって、
ビール5杯で前後不覚になって、先輩におぶってもらって帰ったけど、あれって急性アル中一歩手前だったんじゃないか。
海外では、
夜行バスにも深夜特急にも独りで乗ったし、
安いからって小さなペンションに泊まったし、
ムショ帰りの無賃乗車男と同じコンパートメントだったし、
あぁ、若い男に囲まれてカメラ盗られたこともあった・・・


今それなりの年齢を重ねている人たちは、誰もがこうやって「生き残って」きたんだろうけど。


自分の息子のこととなると心配でしょうがない。
だって、あの子が生き残れる保障はどこにもないんだから。
私と同じラッキーが、あの子にも訪れるとは限らないんだから。


母の心配を他所に、今日も数々の危機をかいくぐって、カワイイあの子が帰ってきた。
無事で何より。

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リンク

8月 1, 2008

これは、アレだ。「絶対無敵ライジンオー」の校舎。

ストーリーは全然覚えていないんだけど、司令部でもある校舎が展開するイメージが残っている。
どれだけ変形好きなんだ。

しかし、検索してみたらライジンオー放映時14才な私。
アニメ見てる場合だったんだろうか。

育児書も育児雑誌も滅多に読まないけれど、偶然に読んで、実践してみて、良かったと思ったのがベビーマッサージ。

赤ちゃんの胸とお腹に、両手のひらでゆっくりとハートを描く。

本当のやり方は知らない。ベビーオイルとか使った方が良いのかもしれない。

でも私は肌と肌のダイレクトな感触が好きだ。






泣いてる子にコレをやったら泣きやむというような、即効性のあるものではない。

どちらかと言えば、赤ちゃんの機嫌の良いときにやった方がいいと思う。

話しかけたり、歌ったり、笑いかけたりしながら、

「お母さんにこうしてもらうと心地よい」と刷り込む。

何年か経ってから、

元気に保育園に通う合間に寂しそうな顔をしたとき
お友達と喧嘩したとき
やりたいことが思うようにできないとき

「ここへ寝てごらん」と言って懐かしきベビーマッサージをしてあげる。

「もっとやって」と言いながら、少し元気になる。

肌と肌の記憶。あたたかさの記憶。
頭で覚えていなくても、刷り込みは活きている。






ベビーマッサージは、親のためのマッサージでもある。

肌のあたたかさに慰められたのは、母である私の方だった。

手のひらに伝わる熱と、肉体の弾力と、生き物の息遣い。

現実感のない毎日。嘘であって欲しい毎日。独りで閉じ込められているかのような息苦しさ。
でも、生まれた命はホンモノだった。
だけど、自分で産み落とした命さえ、触れていなければ忘れてしまいそうだった。

マッサージをすると、時間に色が戻ってきた。






今でも、悩んだときには息子に触れる。

頭でっかちに考えたことには実体がない。
机上の空論、捕らぬ狸のなんとやら。
息子に触れると、目が覚める。

あぁ。目の前にあることから始めるしかないんだよね。
目の前のものを、まず大切にしないとね。

肌が合わさるだけで、血流と熱が行き来するような錯覚。
へその緒って、こんな感じだろうか。
私と息子がリンクしている。
母がいて、息子がいる。一番シンプルな事実の再確認。