キリンが2頭。
キリンの造形物としてのバランスは、完璧だと思う。
小さい頃は本を読むのが好きだった。
今はほとんど読まない。
大人相手の小説やエッセイは、どうにも主張が強すぎる。
疲れてしまう。ムカつくことさえある。
内容も、恋愛とか友情とかは苦手。
現実で十分なのだから、わざわざ読む必要はない。
造られた人間関係は所詮まがいもの。
だから読むとしたら、「事実を書いたもの」か「突き抜けて現実離れしたもの」になり、どちらかというと日々の憂さ晴らしのために後者を選ぶことになる。
そして最近は、子どもの頃読んだ本に帰ることが多い。
その本を読んだ頃、私の未来はまだ白紙であった。
本を読むごとに、日常をその世界に染め替えることができた。
理想は健在で、欲はまだ育っていなかった。
子どもには子どもなりの悩みや痛みがあったけれど、未来があるということは何にも勝るクスリだった。
今更このような本に心惹かれてしまうのは、自分の未来に不安を感じているからだろう。
金がないとか、キャリアがないとか、そういう現実的な不安もあるが、何より「未来が目減りしている」ことが不安なのだろう。
いつかアレをしてみたい。
アレの候補はちっとも減らないのに、「いつか」の可能性は着実に減っている。年をとるとは、こういうことなのだな。
そう考えていることそのものがもう、年寄りじみている。
子どもの本を読んでも未来が増えるわけではないが、その世界にいつまでも未練があるとは、私は大人になれていないのだな、と思う。
それとも、大人になって「知りすぎてしまった」のかな。
ジブリの「おもひでポロポロ」をはじめて見た時、センチメンタルな主人公が好きになれなかった。
今でも好きではないけれど、共感はできる気がする。
息子に読み聞かせる本を探しに図書館へ行く。
そこには小学生の私がウロウロしている。
そんな感覚が、確かにある。
大人になりきれない自分が、子どもの自分と交差している。
さて、私の一番好きな本は今も昔も変わらず
ジュール・ヴェルヌの「神秘の島」。
知恵、勇気、思いやり・・・良い部分だけ集めればこれだけの可能性が人間にはあるんだよ、というお話。
主人公たちは、能力的にも人格的にもパーフェクト。
現実ではありえない。
そう、現実離れしているから安心して読める。
サイラス・スミスとお付き合いしたいとは思わず、彼のような大人になりたいと思っていた。なんと大それた望みだったことか。
「神秘の島」は息子にはまだ難しいので、今は「ドリトル先生アフリカゆき」を読んでいる。
ジョン・ドリトルは偉大な医者かもしれないけど、女性には人気ないだろうね。家事も育児も手伝わず、趣味に全財産つぎこんじゃうから。





