2009年1月のアーカイブ

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背中

1月 31, 2009

ビルではないけど

バス停に屋根が付いた。
新品の屋根があんまり綺麗だったので。

息子にどんな大人になってほしいかと聞かれれば、「プロ」になってほしい。
お金いただいて仕事してりゃみんなプロなんだけど、もっと精神的に。
俺はコレで生きてるんだ!って胸張って言えるような仕事で、食べていけるようになってほしい。

これは案外ムズカシイ。

偉そうに言ってる私だって、結局そうなれないまま30過ぎてしまった。

私が明日仕事を辞めても、1週間もすれば何事もなかったかのように会社は回る。
そして辞めたほうの私も、何事もなかったかのように次の仕事場で働いていく。
「私の職業」不在である。
私は、時間を売っているに過ぎない。
だけどそれで毎日の糧を得ている。

私の学歴を聞くと、たいてい「英語ができる」と思われる。
が、実際できない。
別のことを専門にしていたから。
じゃあその専門のことができるのかといえば、これもできない。
卒業後、そこから離れてしまったから。

専門から離れてしまったのは、結婚相手に生活を合わせてしまったからで、
少し後悔はしている。
でも、「その道に進んだ自分」と「今の自分」を取り替えるかと聞かれれば、NO。
結果論ではあるけれど、息子との生活は何物にも替えがたい。

このように人生は流動的で、人は流されやすく、プロへの道はつかめそうでつかめない。

つかみ損ねても、つかみ損ねても、つかみ損ねても・・・それでもなお、つかみに行こうとする気持ちを持ち続けること。親として、せめてそれを示さなければ。

今、私の背中は、息子に見せるに値するだろうか。
ちょっと焦る。焦るけど日は過ぎる。
日々の慌しさは、人を鈍らせる。

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いきぬき

1月 6, 2009

見つけてきた私よりも、息子のほうがはまった動画。
携帯に入れて、暇なときに眺めてる。大丈夫か、この子。


いやしかし、よくできてるよコレ。
水道費の請求に驚愕しているインフェルノ(←消防車)とか
「こちら温めますか?」でガルバトロンの溶岩風呂とか
小銭がエネルゴンキューブとか
芸が細かいぞー

ひとつ流行ると次々に亜種が生まれるようで、楽しませてもらってますが
ヒマジン多いのか?それとも忙しいのに嵌ってしまう重症者が多いのか?と要らぬ世話もやきたくなります。

ついでにこれも。
「内海さん=スタースクリーム」で中の人つながり


後藤隊長スキー
ウマウマ踊りの元はエロゲの一部らしいです。
曲はスウェーデンのグループが歌っているものを1.何倍速だかにしたものだとか。
なんだこのごちゃまぜ?
思いついた人も、それに乗った人も、ある意味すごい。

働く車は可愛い。
息子はイングラム大好きだけど、母はボクサーやブルドッグみたいにずんぐりむっくりしたのも好きだよ? 

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明けました

1月 2, 2009

煙りをあげて。汽笛を鳴らして。

あっという間に年が暮れて、気が付いたら年が明けて。
そもそも、何が終わるわけでもないし何が始まるわけでもない。
新年のカウントダウンなんて人間が勝手に決めた区切りに過ぎない。

だけど待て。
もしもこの区切りがなかったら。

ヒトの営みは1サイクルが長い。
生まれてきて、先代から生きる術を引き継いで、新しい世代を生んで、生きる術を伝えて。その後、死まで時間が余る。
サイクル中の仕業ひとつひとつにも、それぞれ時間がかかる。

この状態で区切りがなかったら。
毎日毎日同じことの繰り返し。先の見えない単純生活。

もちろん日々それぞれ、新しい出来事もあれば、成長、出会いに別れ、挫折と成功…事件は起こる。
でも基本、種族としての営みが延々と続く。
目覚めて働いて食べて繁殖して眠る。

耐えられないと思うんだよね、そんなの。
どこかで一旦リセットして、心機一転スタートする時がないと。
嫌なことも辛いことも、去年のことさと置いてきて。
どうせ目の前に待っているのは昨日の続きだと分かっていても、深呼吸して新たな一歩を踏み出したい。

正月準備の忙しい中、きんとんの鍋に張り付く数十分の間だけ、ふと時間の流れがゆっくりになる。
黒豆の鍋を左に睨みながら、右手のへらはゆっくりと黄色いペーストにのの字を描いている。
そして考える。

あぁそうか。今年も終わる。
息子は一年間健康に過ごした。
その笑顔は、まだあどけなさをたっぷりと残している。
自分もおおむね健康でこられた。
稼ぎは少ないがこのご時勢にまだ仕事はあるし、食うに困るでもない。
それに、たくさんの人たちに良くして貰った。
幸せなんだな。
来年もこの幸せを逃さないように、地に足をつけ、顔を上げてやっていこう。

そうして新年がやってきた。

あぁつまり、人間が勝手に決めた区切りなんだけれど、
いやむしろそうだからこそ、できるだけ意識して迎えたいと思う。
大掃除も年賀状もおせち料理も年始回りも、日常にはないことだから正直ちょっと面倒ではあるが。
ここできちんと儀式をこなして仕切り直すのが、自分の精神衛生上も良いのではないかと思ったのでした。